日加トゥデイ 2024年9月号 掲載
☆ 「雨雲」と「雨男」の違いは・・・?
中秋の候、木の葉も色づき、日に日に目を楽しませてくれる。でも、「Rainクーバー」と揶揄されるバンクーバーは間もなく雨期がやってくる。毎日、雨、雨。気持ちも湿りがちでうんざりだが、雨は日本語教師にとっても、手ごわくてうんざり。この「雨」、漢字は
やさしいが、読み方がいろいろ変化するので、生徒は大変だし、教師も説明に大変。
先ずは連濁現象。「鼻」+「血」が連なって一つの単語「鼻血」になると、後ろの「血」が濁り、「はな+ぢ」となる現象。「青空」は「あお+ぞら」になる。すると、「雨空」は当然「あめ+ぞら」に・・・。うーん。でも正しくは「あまぞら」。なぜ「あめ」が
「あま」に・・・。ややこしい。さらに、「大雨」は「おおあめ」だが、「小雨」は「
こあめ」でも「こあま」でもなく、ナント「こさめ」である。えー、なぜ、生徒の悲鳴が
聞こえてくる。
確かに、この「雨」は日本語教師として手ごわく、生徒の戸惑いもよく分る。でも、
こんなこと日本人はほとんど意識したことない。母語として、子供のころから「雨雲」は「あまぐも」、「雨戸」は「あまど」、さらに「春雨」は「はるさめ」などと聞き習ってきた。慣れや言いやすさもあり、なぜ「あめ」が「あま」や「さめ」になるのかなどほとんど考えたこともないのでは・・・。
かなり昔、上級者に「雨(あま)宿り」の話をしたら、バンクーバーでは、雨宿りなどする人はほとんどいないとのこと、確かに、傘なしで歩いている人多し。加えて、「雨男」って、おもしろい表現ですが、読み方はなぜ「あま男」ではなくて「あめ男」なんですか、と思いもよらぬ質問を受けて、びっくり。うーん、困った思い出がある。
話し言葉における音声変化は、日本語だけでなく、どこの言語にも必ずあるはず。
たとえば、英語の「want to」が「wanna ワナ」に、Why ? 特にフランス語は言語と
して、長い、かなり込み入った歴史も絡んで、音声変化はとても複雑なようである。
会話における音声変化には一応ルールはあるが、例外も多々あり、複雑で、いちいち生徒に説明などする必要はなく、「発音のしやすさ」が一番大事、と教えるようにした。
これは日本で一番古いとされている「なぞなぞ」で、「母には二度会うが、父には一度も会わない、なーんだ?」である。答えは「くちびる」。理由は、平安、室町時代ごろの「母」の発音は、「ふぁ ふぁ」だったようで、上と下の唇が二度触れ合うが、「父」の
発音は「ち ち」で唇は一度も合わない。なるほど、面白い。でも、江戸中期以降から、
発音は「は は」になり、もはや意味が分からない「なぞなぞ」になってしまった。
このように言葉の発音はその時代、時代の人たちの言いやすさが最優先であり、時代と
ともに変化するのは当然。生徒には、「あまぐも」や「あめおとこ」の発音が現代の日本人にとって、言いやすいからが理由。あまり気にせず、ぜひ慣れ親しんで、と説明ではなく、エールを送っている。ひょっとすると、100年後には、「雨雲」や「雨男」の読み方も
変わっているかも・・・。
この連濁に関してはこんな質問も。「豆腐汁」は「豆腐+じる」なのに、どうして
「味噌汁」は「味噌+じる」と濁らないのか・・・。えー、衝撃ではなく、笑撃を受けた。でも落ち着いて、日本人には「みそじる」は言いにくいし、
まずそうに聞こえるからね。 That’s all.
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