《ことばの交差点》28
- 矢野修三
- 5月24日
- 読了時間: 3分
日加トゥデイ 2025年5月号 掲載
☆ 「見える」と「見られる」の妙な関係?
春たけなわ、休暇を取って、念願の日本へ観光旅行と洒落込んだ日本語上級者から、「新幹線の窓から日本一の富士山が見られました。とてもうれしかったです」と、富士山の写真付きのメールが届いた。さらに、「窓から一生懸命見ていましたから、『見える』より『見られる』のほうが正しいですね」と、つけ加えてあり、日本語教師として、ハッピーな気分になった。
ところで、日本人に「見る」の可能形は何ですか? と尋ねると、多くの人は迷わず「見える」と答える。確かに、この「見える」にも可能形を感じるが、文法上は「見る」の可能形は「見られる」である。これを理解するには多少なりとも、自動詞と他動詞の知識が必要だが、日本人はそんなこと学んだ記憶はほとんどない。
でも、そんなこと知らなくても、流石、使い方はちゃんと心得ている。例えば、上野動物園に行けば、パンダが「見える」などとは言わず、「見られる」を、見事に使い分けている。さらに、自動詞と他動詞がペアになっている、「電気がつく・電気をつける」や「お風呂がわく・お風呂をわかす」など、自然にどんどん口から出てくる。母語として当たり前だがすごい。
しかし、日本語学習者は、この自動詞と他動詞が大の苦手。そこで、実例として、「火が消える」と「火を消す」の違い。先ずマッチに火をつけて灰皿に入れ、自然に消えるのを待って自動詞「火が消える」を。次に火をつけたマッチを手に持ちながら、「熱い」といって息で火を消して、何か目的がある場合に他動詞「火を消す」を教えている。
さて、「新幹線の窓から富士山が( )」の文の場合、大部分の日本人は「見える」を使う。この「見える」と「見る」も同じ関係で、自然に「富士山が見える」(自動詞)と、何か目的があって「富士山を見る」(他動詞)であり、この「見る」の可能形が「見られる」となる。
すなわち、東海道新幹線からは自然に「富士山が見える」。でも、日本一の富士山をどうしても見たいと、窓から一生懸命見ていた場合は「富士山が見られた」のほうがいい感じ。英語では、Mt. Fuji can be seen. と I can see Mt. Fuji. の違いかも。
しかし、昨今はSNSなどの影響もあり、「食べれる」などの「ら抜き言葉」が、どんどん広まり、この「見られる」もすでに「見れる」に主役の座を奪われてしまったようで、残念至極。「見える」を含めて、生徒は実にややこしい。でも「ら抜き」にはそれなりの理由もあり、うーん、日本語教師としてもそろそろ考え直さねば。言葉は時代とともに、である。
オーロラなどの自然現象も両方使えるので、イエローナイフに行けば、きれいなオーロラが(見える・見られる)。この使い分けも、自動詞と他動詞の違いを強く意識する必要がある。メールをくれた生徒は、ちゃんと覚えていたようで、とっても嬉しい。So happy!
もし、この生徒が日本で、視力検査を受けたとしたら・・・、眼科の先生が検査表を指しながら、「この字、見えますか?」の質問に、彼は一生懸命見ているので、自信満々に
「はい、見られます」と答えるであろう。すると、その先生の一瞬戸惑った、妙な驚きの
微笑む姿が目に浮かぶ。
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